Illustration by ruder

今日は本を掘りに行くよ

 お約束をしましょう。お約束をしましょうね、ボールドウィン。  そうやって、幼いボールドウィンと彼女は一方的な指切りをとりかわした。  お約束をしましょう、ぼうや。二度と、私の前に姿をあらわさないで頂戴ね。  こっちから願い下げだとボールドウィンは火のように吠えた。  幼きころのボールドウィンの面影はもうない。母親と言う悪腫を除き、ゆうに先月で300を超えた。燃えるような真っ赤なたてがみがめらめらと燃える彼の性情を表しているような気がする。 「それでどうなんだ、首尾は」  火ネズミのディーターがボールドウィンに聞いた。彼とボールドウィンはは年少学校からの友達だった。ボールドウィンは中等部の途中で学校をやめてしまっていたが、それでもディーターは変わらぬ友情を彼に向けていた。 「上々さ」  ボールドウィンはうそぶいた。 「稀覯本がざっくざくだ。次は北に堀りに行くよ」  ボールドウィンが産まれてからと言うもの、すっかり大地は冷え切っていた。雪に閉ざされ、灰に覆われた地面を掘ると、本はざくざくといくらでも出てきた。そして、高値で売れるのだ。 「北か」 「ああ、北にゆくよ」  ボールドウィンは真面目な顔で空を向いていた。ディーターは北を思ってぷるぷると震えた。 「北とはどっちだ?」 「寒い方さ。また、堀りに行くよ」  ボールドウィンの答えはそっけないものだった。ディーターは友人のこの性質をとても好ましく思った。 「3月号が欲しいな。ファッション雑誌の」  ディーターはちょっとはにかんで言った。 「それは何故だ」 「暖かそうで寒そうだからさ」  ディーターは熱のこもった瞳でボールドウィンを見た。一方、ボールドウィンの目は冷めていた。しかし口元は人懐っこく苦笑していた。 「俺はずっと思っているよ、上は大水、下は大火事……あの謎の答えは、3月号だと思う」 「けれど、寒そうなのは足元だ」  ボールドウィンは人差し指を振ると、唇にくっつけて頷いた 。 「承知しているとも。だから、ひっくり返した3月号だね」  ディーターは柔らかく付け足した。 「そういうものか?」 「ああ、おそらく――おそらくな」  ボールドウィンは北に備えてゴーグルをかけた。 「3月号が見付かった時は、ぜひにもディーター、きみのためにも、取り置きしておこう」 「ありがとう。気を付けて」  ディーターは不安を滲ませてはにかみ、それから少し真面目になって言った。  北は良い具合に吹雪だった。ダウンジャケットの隙間から忍び込む冷気が背筋を撫でる。ボールドウィンは気持ちとは裏腹にふるふると震え、熱産生を高めていた。視界は雪に遮られ、全くよく見えなかった。ボールドウィンは長年の経験から、のこされた柱の位置取りを見極め、本があると思われる位置に竹の棒を立てた。そうしてスコップでその場を掘る。積もって間もない、やわらかな氷雪の層を削ると灰の層になる。そうしてざくざく、スコップの先で掘り進めるとカチンと先が表土にあたる。  ボールドウィンが睨んだ場所は恐らく書斎だった。ざくざく、ざくざく、旧約聖書から漫画本、目を覆うような低俗な本までが一挙、束になって表れた。生前の家主は読書家だったらしい。しかし、几帳面ではなかったようだ。ボールドウィンは本たちを丁寧に選り分けると、持ち帰る本をよく吟味した。本は身が締まって重いから、全てをリュックサックに詰め込むことは出来ないのだ。ボールドウィンはゴーグルの奥の鋭い目つきで、濃厚な本と肉厚な本を選別した。ファッション雑誌は4月号しかないのだった。ボールドウィンは小さな友人の為に妥協をした。  今日は、ボールドウィンにとって久しぶりの収穫だった。ボールドウィンは取るに足らない本を燃やすと、その場で暖を取った。ボールドウィンは浮かれていた。  燃える炎がピシリピシリと、ボールドウィンの足場を溶かした。そのとき、ボールドウィンは呑気にトカゲを串で炙っていた。ガラガラと天井の崩れる音がして、ボールドウィンの巨体がすっぽりとクレバスに放り込まれる。そして、ボールドウィンは、重力に引かれて落下する。  ボールドウィン、ボールドウィン、二度と、私の前に姿をあらわさないで頂戴ね―――と、ボールドウィンの頭に反響した走馬灯の大部分はそういう声だった。なにくそ、と、ボールドウィンは吠えた。アヒルの羽のダウンジャケットがボールドウィンをかっちりと庇い、多少の装甲とはなったけれども、その分、動きを鈍らせた。ボールドウィン、ボールドウィン、ボールドウィン、と、頭の中で、何度も彼を呼ぶ声がした。うるさい、うるさいととボールドウィンはがむしゃらに先のとがったステッキを振り回した。それが運よく、氷の割れ目に引っかかり、ボールドウィンは虫を止めるピンのようにザクリと止まった。  ボールドウィンはさかさまだった。リュックの留め金が弾け、ぽろぽろと本が落下していった。ああ、ディーター、彼にあげる4月号もだ。ボールドウィンは悲しく思った。ボールドウィンはぷらん、ぷらんと中途半端なところで止まった。進むにも止まるにも、具合の悪い位置だった。さかさまだと、頭に血が上る。ボールドウィンは、逆上がりの練習をするべきだったと後悔した。ディーター、学校とは、逆上がりを学ぶために行くのだよ。ディーターは要領が悪かったのだ。ひょっとするとボールドウィンは、逆上がりが出来たかもしれないが、重い装備がボールドウィンを、いやがおうにもそこに留めた。ぶあつい手袋の中の指先がかじかんで、ものを上手く掴めなくなる。ボールドウィンが落ちるのも、かなり、時間の問題だった。ボールドウィン、ボールドウィン。指先の感覚が無い。耳元になだれこんできていたラジオの信号がつう、つうと聞こえなくなって、ボールドウィン、ボールド……。


『今日は本を堀りに行くよ』 お題 苦しみの痛み 必須要素 旧約聖書