本当に大切なものは、目には見えないんだよ『星の王子様』 サン=テグジュペリ
目に見えるものを信じてはいけない。
ラズベリー・パイのセットアップをやれと言われてGUIからIPを設定してたら上手くいかなくて、どうがんばっても、インターネットにつながりません。
困り果てて、社内の有識者に尋ねたところ、画面を弄っているのを一瞥して言います。
「GUIからやってない? それやめてくれる?」
「何???」と思ったのをよく覚えています。
何? 私は正しく「インターネット」みたいなところを設定しているんだぞ?
じゃあなんだよ、心眼でやれってか?
私は、いまだにUbuntsuやLinuxが苦手です。あいつらは、本当に、黒い画面に映るものを真実だと思っている。
(実際に真実だから、困ります。)
上の例で言うと、規定の位置にあるテキストファイル、
/etc/dhcpcd.conf
を編集する必要があります。そうしたら上手くいったので、余計に腹が立ちました。
テキストの実態を人間がミスなく編集できると思っているのか?
今、ローコードツールでの開発をやっていて改めてこの件を噛みしめています。
GUIがのっかった画面は、まるで信用できません。
目に見える画面、読みやすい方の画面で製作すると、ほんとにロクなことがない。
開くたびに設定欄の設定値が飛ぶ。設定値を勝手に丸められる。
入力していた瞬間は正しく認識してくれていたのに、GUIに移って「保存」した瞬間ふっとんで初期状態に戻される。
(なので、GUIではない方の画面から設定値を変更する。)
ふざけんなよ。
しかしGUIは信じられない。数字の羅列から、エンジニアが、見せたいモノだけを全面に出し、不要なモンはベッドの下にぎゅうぎゅうに押し込めた見栄えの良いみせかけだけであり、本当に、本当に、信じてはいけない。
レジストリエディター。これはわりと真実
つまるところ、信じるべきは実体(設定ファイル・ログ・コンソール)であるということです。